【出羽の歩き方】〜歴史の妙〜

2018年07月11日(水)|18:08

ご無沙汰いたしておった、最上じゃ!

このブログが新しくなってから初めての筆じゃな。

さて、御礼を申し上げるのが遅くなってしまい申したが、

先に開催された 「戦国武将大集結 第四回 山形夏の陣」に大勢のお客様のご来場を賜り誠にありがとうございました。

そして、ご多忙の中を隣県から遠方からお越し下さり、共に戦を盛り上げてくだされた武将隊の皆々さまにもあらためて感謝を申し上げます。

その夏の陣からもう半月も過ぎてしまったのじゃな、早いものじゃ。

此度の夏の陣(6月24日)の当日、会場で誕生日とご命日を同時におむかえになられた武将がおったのじゃ。

もうすでにお判りと思うが、加藤肥後守清正殿(熊本城おもてなし武将隊さま)である。

当日は会場の皆で合掌しながら「おめでとう」をお伝えしたのは記憶に新しいところじゃ。

しかし山形夏の陣初参陣がこの日とは何という因縁。

山形とは所縁のある加藤家、このご縁に深いものを感じて数日後、山形県鶴岡市にある清正公と御子息の墓参りに行って参った。

鶴岡市は夏の陣が開催された山形市から日本海側へ約95辧鉄籠なら1時間30分ほどのところに位置する風光明媚な海沿いの街じゃ。

清正公の墓は熊本県の本妙寺にござるが、なぜこの地にも清正公の墓があるのか?

御子息の忠廣公が肥後から出羽に配流となった際に置かれたのじゃが、詳しい経緯はご存知の方も多いと思う故、此度は説明を省かせていただこう。

 

こちらが加藤家の墓所。

この門を潜ると加藤家の墓地じゃ。

この地に到着するや否や嵐のような猛烈な雨風が出迎えてくれた。

門を抜けると先ず清正公の御子息 加藤忠廣公とご対面。

無念もあったでござろうが、現在は地元の皆さんに手厚く守られておる。


歩を進めるといきなり虎が!

どうやら清正公に退治された虎が今では墓守となっておるようじゃ。

後方に建つのが五輪塔が収められる覆堂 加藤清正公墓碑。

忠廣公は当時、幕府に隠すため清正公の遺骨を自分の屋敷の庭に埋めておったが、後に移されたそうじゃ。

手を合わせ門を出るとすぐ近くには

清正閣。

こちらも忠廣公による建物じゃが、大正10年に熊本から訪れた調査団の調べたところ、

使われている石は熊本産出のものと判明、更に遺跡一帯の発掘調査では清正公の遺骨や所用の鎧兜が発掘されておる。

駆け足での報告となったが、この地に確かに清正公がおられるのを確信して参った。

 

此度、加藤家の墓をお参りするにあたって改めて熊本と山形の縁、そして歴史の不思議さ、面白さを感じた次第じゃ。

いつか皆さまも訪れてみて、歴史の妙を感じてみては如何じゃろうか?

さて、だいぶ長くなり過ぎたので此度はここらへんで失礼致そう。

 

出羽、これにて御免、さらばじゃ!

コメント
  • うめこ
  • 2018/07/22 12:58 AM
義光様、こんばんは!
夏の陣ステージでも清正様は山形県と縁があるとお話していました。義光様のブログから、お墓だけでなく虎やお堂も置かれていると分かりました。それだけ歴史あるものが見つかり、今も大切にされているのでしょうね(’-’*)
教えて頂き、ありがとうございました!
最近は連日、猛暑日が続いているようですので気をつけて下さいませ〜。
  • ジャンボ
  • 2018/07/12 10:01 PM
鶴岡市と加藤清正公の縁。わかりました。

私も色々、清正公のエピソード調べましたが、ここでは割愛します。

さて、鶴岡市。山形市から95キロですか。意外に遠いですね。東京からだと、山形新幹線を使うより、新潟廻りの上越新幹線を使い、羽越本線特急いなほに乗り換えたほうが、便利かもしれませんね。

鶴岡市は、確か、第44代横綱柏戸関の故郷かと。柏戸関のこと書きたいですが、ここでは割愛します。
  • Shima
  • 2018/07/12 12:12 AM
最上様こんばんは。
夏の陣でも、ありがとうございました。
とても、楽しい1日でした。

加藤清正様は、名古屋のご出身で、7月24日に中村 妙行寺で法要があります。今年も、熊本から、清正様が来てくださります。山形夏の陣のお話もできたら、いいなあと思います。
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